大好きなポールのこと

8月2日11時の新幹線で、ポールはアメリカに帰って行った。
今は、「ポールシック」というか「ポールロス症候群」というか・・・とにかく、ポールにまた会いたい。・・・ポールを思い出しては、泣いている。


でも、ずっと苦しかった。
今回の交換留学は、「YFU」という交換留学の財団法人の企画したものだったのだけれど、基本的には、自分の家の子供を海外にステイさせて、代わりに外国の子をステイさせてあげている人たちの集まりのようだった。私達家族は、全くその財団とは関係なく、ただ、とても困っていると頼まれただけだったのだ。・・・ADDであるということを知らされもせず、「何でも食べるようだし、タバコも吸わない・・・いい子みたいですよ。」と言われただけだった。


なんで、私達がボランティアで、ここまでしなくちゃいけない?・・・ADDについて全く知らせずに、押し込んできた「YFU」に戻すべきなんじゃないか?・・・不良品を返すようにポールを返していいのか?・・・この子の気持ちはどうなる?・・・毎日、夫や友人と堂々巡りの話をしていた。(愚痴を聞いてもらっていたと言ったほうが正しいかもしれない)


どんな6週間だったか、少し思い出して書いておこうと思っている。


確かに、何でもよく食べた。今までに3泊とか5泊とかで受け入れたことのある外国の学生とはぜんぜん違った。毎日ご飯を食べたし、お刺身、昆布の佃煮が大好きだった。珍しいものが出てくると、好奇心でいっぱいだった。


自分から、沢山の話題を持ちかけた。あれは、一種の才能だったと思う。「ポールは、面白い質問をたくさん考えついていいね。一緒に話していて飽きないよ」というと「ばかげた質問だよ」と言っていたけれど、自分からたくさん話すタイプではない私?はとても助かった。


息子と同じ高校に行くはずが、最初の10日程は、高校が期末テスト期間中ということで学校に行けなかった。勤めていて、昼間全く世話の出来ない私にとって、いきなり10日間をどう過ごさせるかは、大問題だったが、児童館に連れて行ったり、知人を頼り、どうにか過ごすことが出来た。児童館には4日連れて行った。ポールはとても楽しかったようだ。子供達もみんなでおんぶしてもらったり、野球をしたりして、お互い、いい思い出になった。


さて、期末期末テストも終わり、息子が所属している「天文班」の合宿が、ポールの学校生活のスタートだった。夕方、合宿用の寝袋を持って学校行き、ポールと玄関前で大事なお金の話をしていたのだが、女の子が通ると、大事な話なんて関係なくなりそっちを向いてしまう。「ポール!バカ!!!」と思わず叫んでしまった。夜中中、可愛い女の子とお話をしていて、息子と行動を一緒にしなかったそうだ。


お弁当を持たせても、お弁当箱は持ち帰ってこない。さすがに、3日目には「約束して!!お弁当箱を家に持って帰って!!」と哀願した。・・・でも、彼は、持って帰って来なかった。


学校側も、ポールのために特別日課を組んでくれた。でも、待たせてくれた日課表は、1日でボロボロになり、翌日の持ち物などを全く心配しない。通学に使っているバッグの中はグチャグチャ。「明日は、何の学科があるの?準備してね。」と言ったときに、「僕がするの?」と言ったときには、思わず「自分のことなのに、なに言ってるんだ!」と思わず日本語で捨て台詞をはいてしまった。授業の始まる時間になっても、何も考えずに、学校の中を気分で歩いていて、先生から怒られたようだ。


日本語もさっぱり覚える気がなかった。高校も進学校だったので、会話には困らなかったようだ。結局「おはよう」「ありがとうございます」「すげー」「ごめんなさい」「いただきます」くらいしか覚えなかった。私達が日本語で話していると「In English!」と言ってきた。


そんな中でも、特に悩まされたのは、女の子が大好きで、接近する距離が異常に近い。アイコンタクトが日本人とは違い、ジッと見すぎることだった。ハンサムな彼に話しかけられ、ちょっと嬉しいけど・・・なんか怖い。そんな気持ちにさせる青い目のパワーだった。と思う。日本では女の子のことをジッと見るなといっても理解できなかったようだ。


定期テストが終わり1週間後に、文化祭のある高校だったので、その準備にポールも参加した。文化祭の準備で学校中が浮かれ、いつもとは違う学校になっていた。ポールは、クラスのみんなと前夜祭でダンスを踊ることになり(それもステージの真ん中で!!)、1日4時間の練習に耐えた。沢山の練習に疲れ、ちゃんと踊れるか緊張し、家に帰ってきても練習していた。高校生の交換留学としての体験はダンスだったと思う。


そういえば、あまりの緊張に、吸わないと申請書類に書いてあったタバコ(嘘だったのだけれど・・・)を我慢できずに吸い始めたのもこの頃だった。アメリカでは、1日1箱半吸っていたらしい。私もよく見つけたものだと思うのだけれど、滞在中に4回もタバコの箱を見つけた。みつけた時のやりとりは、今思い出すと笑ってしまう。本当にオトボケなポールだった。



そんな中で、ADDかもしれないと気づいた私は、早速夫に話した。すると「会話の中で、僕はADDだと言っていたことがあったけれど、意味がわからなかった。」と言い出した。そして、同じ高校に通い、ポールの行動に、一番悩まされていたうちの息子にそのことを話すと、「ポールについての英語の書類の中に、以前薬を飲んでいた。と書いてあった。でも、ADDって何だかわからなかった。」と言うではないか。私達(YFUの役員の方を含め)大人は、急な受け入れに、忙しがって英語で書いてある書類を詳しく読んでいなかったのだ。



文化祭の初日、YFUの役員の方と一緒に、学校でのポールの様子を、学校の先生にお聞きした。そこで「はっきり言って、迷惑です。今まで何人も交換留学の生徒を受け入れてきたけれど、こんな子は初めてです。」と言われてしまった。



結局、高校には2週間しか行けなかった。私達家族からは、ポールに何も言わず、YFUの役員の方と学校の担当の先生から「学校には行かれない」ということを話してもらった。その日の夕方、私の友人の家にポールを迎えに行くと、ポールはテレビゲームをしていた。部屋に入って「ポール」と声を掛けると、振り向かずに私の名前を「Kumiko?」と一言呼んだ。思わず私は、後ろから、ポールの金髪の頭をクシャクシャになでながら「そうだよ・・・」と答えた。そして「明日は、学校に行くの?」と聞くから、「みんなに挨拶するんだよ」と言ったら「行くのいやだな」と言ったきりだった。このことについては、ポールは、私達には最後まで、一言も「何で行けないのか?」と尋ねることはなかった。今思い出すと、本当にかわいそうだったと思う。ポールは、自分のADDについて痛いほどわかっていたのだと思う。


続きは、また後日・・・